43人が犠牲となった雲仙・普賢岳の大火砕流から35年、島原市では犠牲者に手を合わせる姿が見られました。
“登りたい”需要とリスクの狭間で火山と共に生きる新たな可能性は
消防団員の詰め所があった島原市北上木場の農業研修所跡です。
大火砕流が発生した午後4時8分、消防団の遺族などが黙とうしました。
35年前の大火砕流は、地元の消防団員や報道関係者など43人の命を奪いました。
分団長だった山下日出雄さんの長男・山下譲治さん
「私たち家族にとっては、この日はずっと変わらない。自分の家族が、自分の縁のある人が、災害の中で
命を落としたり災害と一緒に闘ってきたというか災害とともに過ごしてきたことを知ってくれたら」
山下日出雄さんの妻・睦江さん
「息子たち、孫たちがじいじの思いを伝えていってくれたらうれしい」
当時、報道陣がカメラを構えていた「定点」一帯は、災害遺構として整備されています。
報道関係者も手を合わせ犠牲者を悼みました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d7a75c8b82afa386dffc39a4fd7d16a200b99c1c
1: 名無しさん 2026/06/03(水) 22:21:51.47 ID:oaJGvx5E0● BE:886559449-PLT(23222)
“登りたい”需要とリスクの狭間で火山と共に生きる新たな可能性は
消防団員の詰め所があった島原市北上木場の農業研修所跡です。
大火砕流が発生した午後4時8分、消防団の遺族などが黙とうしました。
35年前の大火砕流は、地元の消防団員や報道関係者など43人の命を奪いました。
分団長だった山下日出雄さんの長男・山下譲治さん
「私たち家族にとっては、この日はずっと変わらない。自分の家族が、自分の縁のある人が、災害の中で
命を落としたり災害と一緒に闘ってきたというか災害とともに過ごしてきたことを知ってくれたら」
山下日出雄さんの妻・睦江さん
「息子たち、孫たちがじいじの思いを伝えていってくれたらうれしい」
当時、報道陣がカメラを構えていた「定点」一帯は、災害遺構として整備されています。
報道関係者も手を合わせ犠牲者を悼みました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d7a75c8b82afa386dffc39a4fd7d16a200b99c1c
1: 名無しさん 2026/06/03(水) 22:21:51.47 ID:oaJGvx5E0● BE:886559449-PLT(23222)
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