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米大リーグ機構(MLB)やヤンキースなどは16日(日本時間17日)、ヤンキースなどでメジャー通算288勝の実績を誇るトミー・ジョン氏が、フロリダ州ダンイーデンの自宅で亡くなったことを発表した。83歳だった。
1963年にインディアンス(現ガーディアンズ)でメジャーデビューしたジョン氏は、その後ホワイトソックス、ドジャース、ヤンキース、エンゼルス、アスレチックスなどで89年までプレー。通算288勝を挙げた。79年にヤンキース入りすると、1年目から21、22勝。球団で2季連続20勝以上を果たした最後の投手だ。▼ 続きを読む▲ 閉じる81年のドジャースとのワールドシリーズは3試合に登板(先発2試合)、1勝0敗、防御率0・69だった。89年にはヤンキースで45歳317日でメジャー史上最年長で開幕戦先発登板を果たし、勝利投手になった。
ジョンはクリーブランドでメジャー昇格。通算メジャー26年で通算成績は288勝231敗、防御率3・34。760試合に登板し(先発700試合)2245奪三振。162試合で完投勝ち、46試合に完封勝ちした。
1974年に左肘を負傷すると、同年にはジョーブ博士から史上初の左肘内即側副靱帯(じんたい)の再建手術を受けた。前例のない手術だったが、76年に復帰して77年には20勝を挙げるなど大活躍。術後に405試合登板(382先発)で164勝125敗、防御率3・66という成績を残した。いまでは多くの投手が受ける手術として一般的になり、「トミー・ジョン手術」という名称が定着。後世に大きな影響を与えた。
殿堂入りを果たしていない近代野球の投手の中で、ロジャー・クレメンスに次いで、通算勝利数、先発登板数、投球回数の全てが2位。8シーズンをプレーしたヤンキースは「ヤンキースは、トミー・ジョン氏の逝去を深く悼みます。彼は在籍中、先発ローテーションの要で、長年にファンに愛されました。驚異的なキャリアと術後の功績は、世界中の多くのアスリートの運命とキャリアを変えました。彼の功績を偲び、追悼の意を表します」と追悼のコメントを発表した。
1963年にインディアンス(現ガーディアンズ)でメジャーデビューしたジョン氏は、その後ホワイトソックス、ドジャース、ヤンキース、エンゼルス、アスレチックスなどで89年までプレー。通算288勝を挙げた。79年にヤンキース入りすると、1年目から21、22勝。球団で2季連続20勝以上を果たした最後の投手だ。▼ 続きを読む▲ 閉じる81年のドジャースとのワールドシリーズは3試合に登板(先発2試合)、1勝0敗、防御率0・69だった。89年にはヤンキースで45歳317日でメジャー史上最年長で開幕戦先発登板を果たし、勝利投手になった。
ジョンはクリーブランドでメジャー昇格。通算メジャー26年で通算成績は288勝231敗、防御率3・34。760試合に登板し(先発700試合)2245奪三振。162試合で完投勝ち、46試合に完封勝ちした。
1974年に左肘を負傷すると、同年にはジョーブ博士から史上初の左肘内即側副靱帯(じんたい)の再建手術を受けた。前例のない手術だったが、76年に復帰して77年には20勝を挙げるなど大活躍。術後に405試合登板(382先発)で164勝125敗、防御率3・66という成績を残した。いまでは多くの投手が受ける手術として一般的になり、「トミー・ジョン手術」という名称が定着。後世に大きな影響を与えた。
殿堂入りを果たしていない近代野球の投手の中で、ロジャー・クレメンスに次いで、通算勝利数、先発登板数、投球回数の全てが2位。8シーズンをプレーしたヤンキースは「ヤンキースは、トミー・ジョン氏の逝去を深く悼みます。彼は在籍中、先発ローテーションの要で、長年にファンに愛されました。驚異的なキャリアと術後の功績は、世界中の多くのアスリートの運命とキャリアを変えました。彼の功績を偲び、追悼の意を表します」と追悼のコメントを発表した。
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288勝草w只の医者かと思ったw
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てっきり医者の名前かと思ってたら