ブルデュー読んでたら、「ちゃんとする」という発想自体がもう庶民階級の発想とあって、まじかよってなった。(なぜなら支配階級と違って文化資本という内なる美学的基準がないから、「こうするべき」という押し付けられた基準に従わざるをえない。そしてマナー講師がはびこる…)
— Masanari Sakurai (@wagashi_no_yosa) August 17, 2025
これは、庶民にはブルジョア的趣味をする財力もないがすることでのメリット(象徴的利益)もないので、日常は実用を旨として質素な生活を送っているので、いざハレの場に出るときにその基準がない、という話の流れでもある。ちなみに出典は『ディスタンクシオン(Ⅱ)』
— Masanari Sakurai (@wagashi_no_yosa) August 17, 2025